毎年正月恒例のウィーンフィル・コンサート:女性指揮者の起用はいつになるのかしらん!?


PHILHARMONIKER
Wann endlich dirigiert eine Frau das Neujahrskonzert?
んまったくもう~いつになったらウィーンの新年コンサートで女性が指揮を執るのかしら?

Und wann erklingt erstmals das Werk einer Komponistin?
Alljährlich werden die Wiener Philharmoniker mit Fragen
bombardiert: Bisherige Antworten halfen dem Image nicht

Ljubiša Tošić
それに女性作曲家の作品が初めて鳴り響くのいつのことかしら? 毎年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団には問い合わせが殺到している、が今までの回答は同楽団のイメージ向上の助けにはならなかった。

そう、今年も、男性指揮者の登場が続いています、
きっぱり言い切っても多分、全然間違いではないと思います。

そうした事実があるとは一顧だにすることもなく、例年正月のテレビ画面の前に腰かけてました。
今年の休憩時間の合間に流れる映像はオーストリア国の、魅力的な観光コマーシャルでした。
今年の演奏が終了した後、このドイツ語新聞記事を目にした次第でした。

来年2025年の指揮者の名前も既に明らかになっています。
頭文字は ”R” です。来年も男性ですね、マエストロ。


       ☆  ☆

それはさて置き、ウィンフィルの演奏家たちは全て男性ばっかりでした。
それがある年から(いつからだったのか?)女性も演奏に参加できるように
”規則”を変更したのですね。

確かに今年だけではない、昨年だって、一昨年だって演奏者の中には女性が混じっている。
テレビの画面で疑いもなく確認出来ています。

私に限ってのことですが、オーストリア移住後はいつの間にか、
毎年のお正月、「ああ、またも新年になってしまったのか!?」と
嘆息しながらも、このウィンフィルの演奏をまずは鑑賞することにしようか、
ちょっとだけ新年気分に浸らして貰うことにしよう、とテレビの前に居座る習慣になってしまいました。

お正月のおせち料理は残念ながらもうとっくのとおに、悲しくも淋しくも、
何十年と目の前には見られなくなってしまいました。
日本の伝統的な食事は私に限っては一緒に生き延びることはもうなくなりました。




Der Tag wird kommen, an dem auch die Orchesternamen
mit der Realität gleichziehen: Dann werden sich die Berliner
Philharmoniker "Berliner Philharmoniker:innen" nennen.
Und der Edelklang, der den Globus alljährlich mit Walzern weckt,
wird sich womöglich auf "Wiener Philharmoniker:innen"
umgetauft haben. Mittlerweile sind 22 Instrumentalistinnen
fixer Teil des etwa 150 Mitglieder zählenden, weltweit reisenden
Orchesters, das zugleich an der Staatsoper für Niveau sorgt.

その日はやってくるでしょう。その日にはオーケストラ自体の名称も現実とマッチさせることでしょう。そうなるとベルリン男性交響楽団は 「ベルリン男女混成交響楽団」と呼ばれるでしょうね。それに、そのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の高貴な演奏はワルツのリズムと一緒に毎年地球全体を覚醒させるし、可能ならば 「ウィーン男女混成交響楽団」といった風に名称変更に落ち着くことでしょうね。今となってはほぼ150名と数え上げられる全楽団員のうち女性演奏家22名が確固とした構成員をなし、世界中を旅するオーケストラとなっています。と同時にこのオーケストラはウィーン国立歌劇場を受け持ちそのレベルの高さを提供しています。


Der Tag その日とは? 言わずもながですよ、ね。いつでしょうか、興味津々。

次!
まあ、良く調べ上げておりますね。
それがジャーナリストと呼ばれる人たちの特技の一つでもあるようですね。
昨今は investigative journalism と言われるようになってきています。

楽団員は何名いるのでしょうか、そのうち女性演奏家は何人いるのでしょうか。

この私がそんな質問を受けたしても即座には全然答えられませんが、
このドイツ語新聞記事の記者(因みに、この記者は男性? 女性? 
私は女性ではないかと踏んでいますが、)、この方はちゃんと知っているので
親切にも我々読者にその情報を提供してくれています。

数字は間違っていないことでしょう。
そういうことで楽団員の中には男性しか見いだされないじゃないか!!
といった今までの”非難”やら”偏見”やらを打ち破っていることは確かですね。




Es könnte bei den Wienern aber am längsten dauern.
Peinlich spät, nämlich erst 1997, und nicht unwesentlich
bedingt durch Boykottaufrufe in den USA, öffnete man sich
für Musikerinnen.

だが、ウィーン子たちにあっては一番長く時間がかかると考えられるかも。気まずくも遅かった、つまり1997年になって初めて女性音楽家たちへの道が開かれたのですが、それは米国での、その無意味ではない条件付きボイコット要求の叫びを介してであったのです。

Langsam scheint man sich bei akuten Fragen zu bewegen,
die über das Orchester stets um den Jahreswechsel
hereinbrechen. Es entsteht der Eindruck, man reagiere nur,
wenn der äußere Druck ungemütlich hoch wird.


am längsten== the longest
unwesentlich==insignificant
hereinbrechen= brechen und nach innen fallen;
übertragen, unpersönlich: überraschend und unerwartet geschehen/beginnen


同オーケストラの常として、年の変わり目には急を要する問題が降りかかる、そうするとそれらの問題にゆっくりと対応し始めるようなのだ。外からの圧力が不快にも強くなる時だけに反応するのだろうといった印象がそこには生まれている。


Wenn der Dirigent will
男性指揮者が欲するならば、、、

Bei der Pressekonferenz zum
diesjährigen Neujahrskonzert wurde es wieder seltsam:
Als die Frage aufkam, warum nicht endlich Stücke von
Komponistinnen Einzug ins Programm fänden,
meinte Orchestervorstand Daniel Froschauer,
da gebe es keine grundsätzlichen Vorbehalte.
Nur sei man "noch nicht so weit", man schaue sich
"das Repertoire aber an". Dann entfleuchte ihm aber
noch ein missverständlicher Satz: Das Ganze sei
keine Genderfrage – "sondern eine der Qualität".


entfleuchte→ entfleuhen== to escape 
Repertoire ==repertoire


今年2024年の新年コンサートの記者会見はまたも奇妙なこととなった。どうして女性作曲家の作品がコンサートプログラムの中には見いだされないのか、という質問が持ち上がった時、同オーケストラ楽団長のダニエル・フロシャワー氏はこう答えた。根本的言って何らの留保は存在しない、と。「そうなる(女性指揮者の登場のこと、訳者)までには時が満ちていない」、「でも、レパートリを」探し求めているところだ」と。ところが、その後でもっと誤解を招く一文が本人の口から洩れた。全ては男女の性別云々といった問題なのではなく、「クオリティの問題なのです」と。

Als Subbotschaft blieb übrig, es gäbe
keine gehaltvollen Stücke von Komponistinnen.
Tatsächlich aber ist man dabei, die Frauenstückquote,
die bei null Prozent liegt, zu verbessern. Animiert durch
die in diesem Bereich sehr engagierte und forschende
Journalistin Irene Suchy ist man wohl dabei, Material zu studieren.
"Ich habe Froschauer Infos zu Komponistinnen mitgebracht und
auch mitgeteilt, wo die Noten zu finden sind. Er meinte:
Eventuell gebe es 2026 beim Neujahrskonzert eine Komponistin –
wenn der Dirigent es denn will!", sagt Suchy.


Subbotschaft==submassage (telecommunications) A message that makes up part of another message.
blieb übrig → übrigbleiben == (als Rest) noch da sein;
in der Wendung: nichts anderes übrigbleiben, als: keine weitere Möglichkeit haben, als
gehaltvoll= reich an bestimmten (wünschenswerten) Stoffen, substantial
man ist debei


サブメッセージとして残ったこととは、女性作曲家による作品はないということだ。確かに女性の作品の割合は目下ゼロパーセント、でもそれを改善する過程にはある。この分野では特に献身的なリサーチジャーナリストのイレーネ・ズーチさんにインスパイアされて、今は作品の研究は順調に進んでいる。「わたしはフロシャワー氏からの情報を女性作曲家たちに持ち込みましたし、同時に楽譜はどこで見出せるものかも伝えました」と。フロシャワー氏が仰ったことですが、2026年のニューイヤーコンサートに女性作曲家が登場するかもしれない 、尤も担当の指揮者がそれを望むならば、という条件付で」とズーチさんの言。

女性作曲家の作品が取り上げられることだけでなく、女性指揮者についても言及が続いていますね。さて、この段落では、2026年のニューイヤーコンサートではもしかしたら女性指揮者の登場があるかも、と仄めかされていますね。


Es gab da was ...
昔々、何々があった、、、

Wenn es ein bisschen schneller geht?
Wenn Riccardo Muti ein mögliches Stück gefällt? Wird es dann –
für die Großbesetzung arrangiert – wundersamerweise womöglich
schon beim Neujahrskonzert 2025 das Stück einer Komponistin geben?

wundersamerweise == miraculously
もうちょっと早く進捗しないのかしらねえ。リカルド・ムーティにとって気に入る曲があるとしたらどうなのかしら? そうしたら大交響楽団用にアレンジした楽曲で、奇跡的にすでに(来年)2025年のニューイヤーコンサートでは女性作曲家の作品がお目見えかしら?

Ein Besuch beim 1. Wiener Neujahrskonzert der Komponistinnen
im Ehrbar-Saal, das nur Werke von Frauen präsentierte, hätte
die philharmonische Repertoirerecherche bereits am heurigen
Neujahrstag (terminlich günstig erst um 17 Uhr) akustisch
vertiefen können.

エーアバールホールでの第一回女性作曲家ウィーンニューイヤーコンサートを訪れたとしたならば、フィルハーモニのレパートリ研究を音響的に深められたことが出来たであろう。

Das Ensemble F interpretierte Stücke von Gisela Frankl,
die auch für das Frauenwahlrecht kämpfte.
Dazu erklang Musik von Josephine Amann-Weinlich, die
das erste europäische Frauenorchester leitete, wie auch
Miniaturen von Constanze Geiger, Clara Schumann und
Leopoldine Blahetka gegeben wurden.



Ensemble F == Ensemble F was founded by Miho Fukui in 2009.
It is mainly comprised of graduates of the Schola Cantorum Basiliensis (Basel)
and focuses on the performance of Vivaldi's Concertos on historical instruments.
Josephine Amann-Weinlich> https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Josefine_Amann-Weinlich
die Miniaturen (複数形)→ die Miniatur(単数形)==


アンサンブルFは 女性参政権のために戦ったギゼラ・フランクルによる作品を解釈した。それに加えて、ヨーロッパで初めて女性オーケストラを指揮したのジョゼフィーネ・アマンヴァインリッヒの音楽、それにコンスタンツェ・ガイガーやクララ・、シューマンそしてレオポルディーネ・ブラエトカの小曲も演奏された。

Im Windschatten des Repertoirethemas und
der schon traditionellen Debatte über die Spielbarkeit des Radetzky-Marschs
stellte sich auch die Frage, wann endlich eine Dirigentin das Neujahrskonzert
leiten würde.

レパートリーというテーマとラデツキー行進曲の演奏可能性に関する伝統的な議論の流れの中で、次のような質問も出た。女性指揮者がニューイヤー・コンサートを指揮するのはいつになるのだろうか、という疑問である。


Eine wurde eingeladen
ある女性が招待されたことがある

Wer anno 2022 bei der Pressekonferenz dabei war,
hat es nicht vergessen: Froschauer meinte, es werde passieren,
"wenn es so weit ist".

2020年の記者会見の場に参席していた人はフロシャワー氏が語ったことを忘れない、つまり、「時がやってくれば」それは起こるだろう、と。

Der damalige Dirigent Franz Welser-Möst sprach davon,
dass dieses Konzert erst die Konsequenz eines langen Prozesses
der Zusammenarbeit sei, auch müsse Affinität zu dem Repertoire existieren.
All das ist nicht falsch – warum man sich nicht bemühe,
Dirigentinnen mehr philharmonische Erfahrungen sammeln zu lassen,
blieb aber unbeantwortet.

当時の指揮者フランツ・ヴェルザー=モストはそのことに関して語った、つまりこのコンサートというのは協同作業の長いプロセスが結実したものだ、と。また、レパートリーとの親和性も必要だ。どれもまちがいではない、が女性指揮者がより多くのフィルハーモニー経験を積めるような努力はなぜなされていないのか、この点については答えがまで見つからないままだった。

Franz Welser-Möst(Wikipedia日本語版)

Worauf die Wiener Grünen mit zugespitzten Vorwürfen
zur Stelle waren: Man warf dem Orchester
"Misogynie und Unwissenheit über die Situation von Musikerinnen" vor.


"wenn es so weit ist== when the time comes

そこでウィーンの緑の党は、その場で鋭い非難を浴びせた:「このオーケストラは 女性音楽家の状況に対する女性差別と無知」だと非難した。




Tatsächlich mahlen die philharmonischen Mühlen hier langsam –
aber nicht nur aus Vorurteilsgründen.
Verbürgt ist, dass das Orchester der Dirigentin Mirga Gražinytė-Tyla
schon mehrfach eine Einladung unterbreitet hat. Die Topdirigentin
muss aber ihrerseits die Einladung für Konzerte erst annehmen.
Man trifft einander immerhin bei den kommenden Salzburger Festspielen
bei Mieczysław Weinbergs Oper Der Idiot. Und mit Joanna Mallwitz wird man
bei der Mozartwoche in Salzburg zusammenarbeiten.

確かに、ここではフィルハーモニー・ミルはゆっくりと回転している。しかし、それは偏見によるものだけではない。保証されていること、それは同オーケストラがすでに(女性)指揮者ミルガ・グラジニテ=タイラを招待している、つまりすでに同指揮者に何度か招待状を出している。しかし、トップ(女性)指揮者はまずコンサートの招待を受けなければならない。何しろ、彼らは今度のザルツブルク音楽祭で、ミェチスワフ・ヴァインベルクのオペラ『白痴』で出会うのだから。そして、ザルツブルクのモーツァルト週間では、ジョアンナ・マルヴィッツと共演する。

Mieczysław Weinberg(Wikipedia日本語版)

Joanna Mallwitz(Wikipedia英語版)

Blickt man zurück, fällt natürlich auf:
Die Australierin Simone Young, die jüngst an der Staatsoper die walzerselige Fledermaus
dirigierte, war 2005 die erste Frau, die ein Konzert der Philharmoniker dirigierte.
Danach war nicht viel. Nun aber drängen neue Namen ins Rampenlicht.

振り返ってみると、もちろん目立つのだが、最近、国立歌劇場でワルツ「こうもり」を指揮したオーストラリア人(女性)のシモーネ・ヤングは、2005年にフィルハーモニー管弦楽団のコンサートを指揮した最初の女性指揮者だった。その後、あまり大きな変化はなかった。しかし今、新しい名前が脚光を浴びつつある。



Man wolle, man suche
欲するなら探しているものよ

Die einstige Musikchefin der Grazer Oper Oksana Lyniv
dirigiert in Bayreuth und ist Chefdirigentin des Teatro Comunale di Bologna.
Interessant auch Marie Jacquot, die erste Kapellmeisterin der Deutschen Oper
am Rhein, oder Eun Sun Kim, die designierte Musikdirektorin
der San Francisco Opera.

グラーツはオペラハウスの嘗ての(女性) 音楽ディレクターだったオクサーナ・リー二フは現在、バイロイトで指揮を執っているし、(イタリアは)ボローニア市立劇場の(女性)主任指揮者である。面白いことに、マリー・ジャコットラインのドイツオペラハウスのカペル(女性)指揮者である、それとエン・スン・キムはサンフランシスコのオペラハウスの(女性)音楽ディレクターに任命されている。

この段落では女性指揮者が例証されている。
指揮者であり同時に女性でもある人たちの名前がいくつか紹介されているのですから、
わざわざ(女性)と括弧を付けて格好をつける必要もないと思われるでしょうね。

その通り! それでもこの訳者は敢えて括弧付けにしました。何故でしょう? 

まあ、何も重大な深刻な事情やら状況が展開されているとは思いませんが、
ドイツ語の世界を逍遥している人たちにとってはもう常識中の常識になっていることでしょう。
ドイツ語は男性、女性を極端に峻別することを好む、気に掛ける言語ではなかろうかと、
私は強烈な印象を持っているのですが。

男女差別は許されない、許さない、
といった主張を始めようとしている訳ではありません。

ドイツ語文を読む上で、それは男女両性が普通存在する世界で生きる私たちにとっては、
発言しているのは男性なのか、女性なのか、
それとも何なのかは実に、時に気になるもののようです。

こことでは特にドイツ語に限って私の感想を述べようとしているのですが、
ドイツ語を習得しようとして、ドイツ語を読んだり聞いたり書いたりする際に
絶対に気を付けていないこととは何か、それは男性が話題になっているのか、
女性が話題になっているのか、誰が書いているのか、

男性か女性か、誰が何々をなているのか、

男性か女性か、実に、そう実に気になるらしいのです。

気にしてどうするのでしょか。

そうしないと読者としては心が落ち着かないと感じているのかもしれませんね。

ところで、ここまで読み進んで来てみて、突然ですが、このドイツ語記事は誰が書いたのか、予想が付きますか、
つきましたか、そんなことは最初から考えることもなく、さて、読んでみようかと思って読み始めましたか。

注意深い人なら誰が書いたのか、と署名をまずは見たかもしれませんね。
尤も、この名前はどう読むのだろうか、とちょっと戸惑ったかも。
まあ、わたしのことですが。
 

       ☆  ☆

この記事を書き続けている内にちょっと疲れを感じたので、コンピュータ画面から目を外して、窓外をちらっと見たら、雪がちらちらと遠慮深そうに降り落ちて来ている。

私は、あるシャンソンを思い出して口に出して、ではなく、誰も聞いていないことを確かめながら冒頭部分を一人で口ずさむ。
Tombe la neige ♪ Tu ne viendras pas ce soir. ♪ サルバトーレ・アダモの大ヒット曲。
ちょっと横道に逸れてしまいました。失礼をば。



Zum STANDARD hatte Froschauer gemeint,
er sei mit seiner Aussage 2022 missverstanden worden.
Man wolle mit Dirigentinnen zusammenarbeiten, man suche
und führe konkrete Gespräche. Doch: "Weltweit betrachtet
gibt es leider noch wenige Orchester, die von einer Dirigentin geleitet werden.
Aber man merkt positive Entwicklungen, immer mehr Dirigentinnen bekommen
auch Chefpositionen."

フロシャワー氏は、弊紙 STANDARD に対し自分としては2022年の発言について誤解していた、と語った。女性指揮者たちと協同したいし、具体的な話し合いを行っている、と。しかし、「世界的に見れば 残念ながら、女性指揮者が率いるオーケストラはまだ少ない。しかし、私たちは、より多くの女性指揮者が指揮のポジションをオファーされるようになるなど、前向きな進展に気づいています。」

Wie die Kirche?
教会の如くなのかしら?

Richtig. Das Problem ist aber:
Eines der weltbesten Orchester sollte in allen Bereichen
nach Exzellenz trachten. Es steht im grellen Licht der Aufmerksamkeit.
Offensiver heikle Themen anzugehen würde insofern schnell den Eindruck
verscheuchen, man wäre, was Frauenthemen anbelangt,
die "katholische Kirche" unter den Orchestern.

その通りだ。しかし問題は 世界最高のオーケストラのひとつは、あらゆる分野で卓越するよう努力すべきである。
すべての分野で卓越するよう努力すること。それが注目の的である。デリケートな問題にもっとオープンに取り組めば、そのような印象はすぐに払拭されるだろう。デリケートな問題にもっとオープンに取り組めば、そのような印象はすぐに払拭されるだろう。女性問題に関して言えば、オーケストラは 「カトリック教会 」であるという印象は、すぐに払拭されるだろう。オーケストラの中の 「カトリック教会 」である。

正解ですね。でも問題が一つ。世界のベストオーケストラの一つは全ての分野にあってエクセレンスを身に着けるべきでしょうね。


Dann würde vielleicht auch thematisiert werden,
dass die Symphoniker den Chefdirigentenposten wieder männlich besetzten und
die Volksoper wieder einen Musikdirektor hat und die Berliner Philharmoniker
zu Silvester auch nur Wagner gespielt haben. In der Klassikwelt ticken die Uhren
der Veränderung ja insgesamt sehr langsam.
(Ljubiša Tošić, 5.1.2024)
そうすれば、おそらくまた議論になるだろう、つまり交響楽団が再び男性の首席指揮者を任命したことや、フォルクスオーパーが再び音楽監督(男性)を任命したことや、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は大晦日にしかワーグナーを演奏しなかったことなど。クラシック音楽の世界では、変化の時計は非常にゆっくりと時を刻む。





以上のオンライン記事を最初から最後まで通読、読了したと思われる読者たちの反応、
つまりコメント数が実にたくさん! 既に600件に近い。

これら全部を読もうと無意識にも思ったのか、早速読み始め、しばらくしたら、、、
一体全体自分としてはここで何をしているのか!? とそんな自分を不思議がってしまう。

通読し始めてしばらくしたら初めてはっと我に帰る。
自分としては全部読み切ろうとしているのだろうか、
と自問自答し始めている。

読み切るまで一生懸命頑張ったとしても、それが何の足しになるのか、
とちょっと懐疑的になってしまった。

確かに読んでいると面白い。

長文もあれば超短文の反応もある。

色々と意見があるのですね。

コメントしたくなるそんなテーマでもあるようだし、
それはそれで記者は素晴らしい記事をモノにしたと言えるのではないでしょうか。

ところでこのドイツ語記事を書かれた記者は女性でしょうか、男性でしょうか。

二者択一問題と言えましょうか。中間的な立場での記事作成は有り得ない? 

男性が女性の立場になって記事をモノにしたのかも。

そういう人は日本にもいたという。あの紀貫之さんでしたか、
直接接したことはありませんでしたが、あの日記の冒頭で女性に扮して書き綴った、とか。

実は、当人は日本では最初の人だった、とか。
何故に最初だったのか、男のくせに女の振りして日記をモノにした最初の人、
つまり男性であったとのこと。


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